ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

若者が離れていく話

近眼乱視老眼の三重苦で、ピンポイントでしか焦点が合いません。ひろさきです。

 

 

「若者の〇〇離れ」と言われ始めて久しいです。

車やテレビ、新聞、読書、お酒、パソコン・・・恋愛や結婚まで離れてるそうです。

 

これ、おじさん代表世代の私も離れて行ってます。日々、世界が私から離れて行ってます。私の場合は何もかも面倒なのと、先立つものがないからなのですが若者もそうなのでしょうか?薄暗い部屋で万年床に横になりつつ、考えてみたいと思います。

  

※ここから先は、乱暴な「世代間の個人的印象」によるお話です。

 

◆幸せの定義が違う

いわゆる団塊ジュニア、ロスジェネ世代、就職氷河期世代とネガティブなイメージしかない40~50代は、一世代前の「物の所有」による幸福を受け継いでいます。

人生の目標や幸福は、どれだけお金を得られるか、です。

とはいえ物がなくて苦労した経験があまりなく、親に言われて良い学校良い企業に向かうものの、本当にその幸福を欲しているのかなんとなく疑問に思っています。

かといって他に目標もないため、唯々諾々と今に至るという感じです。

 

一方、いわゆるZ世代はどうかと言えば、幸福の定義に揺らぎを感じているロスジェネ世代が親となり、自信をもって良い学校良い企業が幸せだ、とは言えなくなりました。

そして、彼らは最低限必要なものは与えられ、物を所有することへの飢餓感はありません。

断捨離、ミニマリスト、シンプルな生活のように、所有どころか持たないこと、シェアすることに価値を感じる人も増えています。

洗練されたライフスタイルへの価値、サスティナブルな社会への貢献という価値、SNSによって社会に認知されることへの価値など、お金や物の所有以外での多様な価値観が認知され、それらを訴求していく世代ということなのでしょう。

 

 

◆情報量とソースが違う

我々オールドタイプの人間は多感な時期を、テレビがメディアを牛耳った世界で過ごしており、テレビで垂れ流されるものが世の中の価値である、と刷り込まれて生きてます。 やっぱり猫が好きな世代です。

 

若者たちといえば、生まれたときからスマホを握りしめており、テレビはオワコンと教えられてきた世代です。

知りたいことは動画で何でも教えてくれ、世界に向けて疑問を発せば、遠い海のかなたから回答のある世界で生きています。

もちろん玉石混交ではあるものの、情報の量も質も一世代前とはまったく違う世界です。

 

 

◆若者は本当に離れてるのか

膨大な情報量の中で多様な価値観を持っている若者世代は、いろいろなものから本当に離れているのでしょうか?

離れるとは、もともと近くにあったものから距離を置く、という意味です。

そもそも若者は車もテレビもお酒も興味がないから近寄ってないだけなのではないですかね?

他に興味があって、重大で、価値のあることに集中してるだけなんじゃないですかね?

全体主義的な価値観を持ってきた我々世代が「常識」としてきた、「お金があれば家を買って、車を買って、お酒飲んで、それこそが勝ち組」という意識が「〇〇離れ」を生んでいるだけな気がします。

 

結局おじさんたちが問題だと騒ぎ、おじさん同士で困った困ったとテレビや新聞で騒いでるだけのスラップスティックだった、なんていう見え方もありそうです。

 

 

◆(古い常識から)離れる若者は輝きを放つ

世の中は大きく変わってます。

多様な価値観は社会問題へ向き合う若者を増やしているようです。

drive.media

 

おじさんなので、テレビでビジョンハッカーという言葉を知ったんですけどね。

世界には問題がたくさんある、とは知ってはいたけど、目の前のことで精いっぱいで下を向いて生きてきた私には、複雑な問題と対峙し、ネットを駆使して新しい解決方法を考えて実行に移す若者が輝いて見えました。

長い番組だったので、疲れで目がチカチカしたのかもしれません。

 

このような若者を応援したい気持ちになりましたが、いかんせん行動を起こす気は毛頭ないため、少しでも彼らの邪魔にならないように今日も部屋の隅っこにいようと思います。