ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

潔癖症な日本人の話

昔は毎日泥だらけになって遊んだもんだ、と回顧しようにも、小さいころからインドア派でした。虫嫌い。ひろさきです。

 

 

街中にゴミ箱がないのにごみが落ちてなく、走っている車はピカピカで、家に入るときには靴を脱ぎ、手洗いやマスクの抵抗も少なく、トイレではお尻もキレイにする。エレベーターのてすりや電車の吊り輪も抗菌が当たりまえ。そんな衛生観念の高い日本ですが、潔癖も行き過ぎると、、、という話です。(バランス教)

 

清潔な環境は気持ちの良いものですが、あまりに潔癖過ぎると強迫観念に囚われてしまい、生活に支障をきたします。電車の吊り輪に触れない、人の作ったおにぎりが食べられない程度ならまだしも、学校や職場で共用物に触れなければならないケースも出てきます。ブラスバンドに入りたいのにみんなで使う楽器に触れない、体育や部活でボールに触れない、コピー機を触る前に除菌スプレーをかけすぎてびしょびしょにしてしまう。精神的に参ってしまい、通院や投薬が必要になる方もいるようです。

 

清潔過ぎる環境は子供の免疫力の低下につながる、といった言説も散見されます。ワクチンがなぜ効果があるのかを考えれば、それも納得できるというものです。科学的根拠が見つかりませんでしたが、清潔過ぎる環境とアレルギーとの関係性を疑う言説もありました。

 

このように清潔さが過ぎる環境は、身体、精神に悪い影響を与えかねない、という話なのですが、じつは日本人のメンタリティとして、割と危うい潔癖レベルでなのでは、と考えています。

 

***

 

オリンピックに限らず毎日のように不祥事が報道され、SNSを中心にあっという間に炎上する時代です。悪事が明るみに出て改善される。まじめに生きている人からすれば、胸のすく話ではあるものの、中にはそこまで言われなくても、、、と、過剰に思える社会的制裁が為されるケースもあります。「思える」と書いた通り、個々人で捉え方や感じ方が異なるので一概にとは言えませんが、10年、20年のオーダーで考えると、許容される社会が遠のいている気がしてなりません。私だけですかね?

最近の日本は、少しの汚れも見逃さない、倫理的にグレーなケースも許さない、そんな強力洗剤のような強い潔癖感を感じます。

 

あまり多くを読んだわけではないのですが、ライトノベルのいくつかを読んでみると、主人公の潔癖な性格が見て取れます。少しの「理不尽」も見逃さず、そのような輩は必ず痛い目を見る。主人公は私利私欲を持たない(でも最強)。

中世ヨーロッパ感のある世界に飛ばされて、主人公の思う「正しくキレイな世界」を実現していく。反対する勢力は悪であり、粛清される。そこには汚れは存在しません。キレイで塵一つなく、あいまいさを排除した直線でできた世界です。それは能力を数値化するところからも伺えます。

 

テレビにおいてもスカッとなんとか、とか、そのような番組が散見されますし、ネット上の掲示板においても創作感満載な「理不尽な人が痛い目にあう話」を目にしたことがあるかと思います。

メディアにおいて、世の人が好むものが多くなるのは言うまでもなく、潔癖過ぎるコンテンツを多く目にするようになったのは、つまりそういうことなんじゃないか、と思うわけです。

 

「清潔さ」は、一見良いこと、正しいと思えます。不潔で汚いのは、イヤですよね。しかしそれを「正義」だと思って固執する人、力を振るう人が出てくると「害」になる。それは「清潔さ」だけではないですが、正しそうに見える分、厄介なんだと思います。

 

さて。以上から私の提言を述べます。

行き過ぎた清潔な世界はディストピアになりかねず、清濁併せ吞むことも必要ではないですかね?(バランス教)

生きやすい世の中には、もっと許容、受容が必要だと思うのです。

 

まずは、ちょっと加齢臭が気になる、キレイにしてるけどなんか不潔そうなおじさんを許容しませんか?