ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

忙しさと分断の話

「忙」とは心を亡くすと書く、とうまいことを言うもんだなぁと思いますが、ということは漢字の成り立ちのころからの問題だったのですかね?だとしたらすぐには解決しなさそうです。ひろさきです。

gigazine.net

動画の平均再生時間で、TiktokYoutubeを超えたそうです。

ブログはFacebookからTwitterに移って、140字で今思うことを表現するようになりました。映画や小説は要約サイトが蔓延り、掲示板では説明を3行で求められます。音楽も最初の5秒が勝負で、サビスタートの曲が多くなったそうです。

今の世の中は、どのようなメディア、コンテンツであっても、短時間で消費者に印象を与えなければなりません。そのため、いろいろな場面や立場に配慮した正確な言い回しではなく、はたまた周囲の情景を丁寧に切り取って、行間の中に本質を浮きだたせるような美しい表現でもなく、ひたすらに短く、強く、インパクトが強い、感情的な言葉が多用されるようになっている気がします。

自分に向けられた言葉でなくても、そのような刺激のある言葉を見るにつけ、危うさを覚えます。

強い言葉は傷になり、度重なる傷は裂け目になって、分断が起きる。

インターネットによって世界中とコミュニケーションが取れる時代になったにも関わらず、人と人との分断が進んでいる理由の一端ではないかと思えてなりません。

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かなり飛躍した話になってしまっていますが、世の中全体が忙しすぎるんじゃないかな、ってことです。もう少し、せめて文学や音楽など嗜好性のあるものくらいは時間をかけて楽しむ余裕があるといいね、と思います。心にゆとりがなければ、他者を慮ることも、共感や許容も難しいのではないですかね。

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さて。分断された世の中が望む世界ではない、と思えるのならば。まずはこの忙しさの原因となる仕事を減らしてはもらえないですかね、課長?