ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

DaiGoさんの動画がきっかけで議論が進み、より良い社会になって欲しいなぁという話

ひろさきです。

 

aiGoさんの動画については、すでにいろいろなところから意見が出されているので、これ以上何かというわけではないのですが。

大半の方が批判されていて、まだこの国にも倫理観が残っていて良かった、と思うものの、依然として失敗のチャンスが与えられずらい世の中なのはなぜかな?とも思う。

 

生活保護やいろいろなセーフティネットがあっても、NPOのみなさんが頑張っていても、ホームレスで苦しまれる方が存在してしまうのは、なぜか。

セーフティネットのシステムに改善の余地があるのかもしれないし、ホームレスを続けざるを得ない理由にマッチする制度がないのかもしれない。金銭面の援助だけではなく、身体面、精神面の援助、学習の機会など総合的に不足しているのかもしれない。

いろいろなケースがあるだろうからすべてを救済することは難しいけれど、改善する余地はあると思うし、PDCAサイクルを回す必要があるのだろうと思う。

 

それと、やっぱり何か失敗してやり直すのって難しい感じがする。社会の空気として。

 

受験の失敗となれば、企業に入るのは難しくなり、生きるためにアルバイトや非正規雇用として生計を立てる。昨今のようなコロナなど企業の利益が損なわれれば、まっさきに雇用契約を解除される。非正規雇用での仕事で、特殊なスキルを身に付けるのは困難だし、職務経歴書でも有利にはならない。ましてや、空白期間ができれば、なおさらだ。

ホームレスに限らず、何かうまく行かずに再起を目指そうと思ったとき、目の前のハードルの高さが、けっして一人では越えられない高さになってしまっているのが、社会の問題なんじゃないか、と思う。

 

なんだかんだ言っても日本社会にはヒエラルキーがあって、転落は自己責任となり、二度と這い上がれない構造だ。これは政府だけでなく、社会全体での変革への取り組みが必要なのだろうけど、いったい何をすれば良いのだろうか。いつも通り他人任せで文句を垂れるたけでなく、自分がすべき具体的なことってなんだろうか。

 

まずは、やむに已まれぬ事情があったに違いない、と相手を慮ること。積極的にかかわる必要はないけれど、せめてそこにいることを受け入れること。想像力と受容。そこからなんじゃないかな、と思う。無理にいろいろなことを考えると続かないからね。

 

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氷河期世代の私は、ささいなことで「転落」することを知っており、這い上がるためには歳を取り過ぎたことも知っている。今回、動画の中で非難される側に近かったから、こんなことを感じるのかもしれず、自分へのセーフティネットとしてブログで発信しているのかもしれない。それでももう少し受容される世の中は、今よりもマシだろう、と思う。