ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

オリンピック開閉会式で感じた、たぶんみんなと同じ心苦しさを考察した話

長々としたスピーチで一身にヘイトを集中することで、開会式のお粗末さを有耶無耶にしたバッハ会長の手腕が一番の見どころだったのかもしれません。そういう意味では閉会式のスピーチは物足りませんでした(長かったけど)。ひろさきです。

 

 

オリンピック、アスリートの方々には総じて素晴らしいパフォーマンスを見せていただき、ありがとうございました。大舞台のために長い時間を練習に費やし、体の隅々までコントロールされた数々の技には感動を禁じえません。

 

一方で開会式と閉会式です。

見続けるほどに心苦しく、居たたまれない気持ちになる開閉会式でした。自分が指揮したわけでも出演したわけでもないのにそのような気持ちになるのは、「疲れているだろうに退屈な演出で夜遅くまで無為な時間を過ごさせてしまってごめんね」という海外アスリートへの皆さんへの申し訳なさと、海外で視聴されている人たちに対する「こんなはずじゃない、本当はもっと面白くてアピールすることがある国なんです」という焦りに起因しているんじゃないかと思います。

この申し訳なさを感じる心こそ、日本人の「おもてなし」の心です。

まさか、日本人が自身の持つ「おもてなし」の心に気づかされる開閉会式だとは思いませんでした。反面教師として。

 

 

バッハ会長、橋本会長は開会式の反省を一切せずに、やっぱり長々とスピーチを閉会式でもしていましたが、これも反面教師として、今回の開閉会式の演出について反省点を考察してみたいと思います。

 

ハコに合わない演出の数々

急遽スタジオアルタから新国立競技場での実施に変わったのか?と疑問を持つくらい、会場の大きさとコンテンツがアンバランスでした。新国立競技場のキャパシティは68000人程度だそうですが、今回の「小芝居」の数々はいいとこ2000人規模の会場が適切に見えます。

開会式で良かったのは、ドローンと国家斉唱くらいでした。

国家斉唱はMISIAさんおひとりで歌ったわけですが、歌唱力のおかげで新国立競技場にあっても素晴らしい演目となりました。

ドローンの演出は空を大きく使っており、今回の開会式の中で唯一会場の規模にあった演出でした。

それ以外のコンテンツは集団で一つのモノを見せるというよりは、個々人がいろいろなパフォーマンスを見せる演出が多く、迫力も感じられず見栄えも良いものではありませんでした。

 

今回の開催地が下北沢だったら、と思うと悔やまれて仕方ありません。

 

コンテンツの統一感のなさ

開閉会式ともにパフォーマンスの一貫性が皆無でした。大工パフォーマンスと前衛的なダンス、歌舞伎とジャズピアノ、そしてイマジンの合唱やボレロ。閉会式も申し訳程度の紅蓮華や上を向いて歩こう、和太鼓や寸劇など、ひとつひとつのコンテンツは良いとしてもまとまりがありません。挙句、たくさんのストリートパフォーマーがリフティングしたり、ジャグリングしたりけん玉したり、と統一感のなさを凝縮した演出になっていました。

もしかすると混沌とした東京を表現したかったのかもしれませんが、場当たり的でどこにも集中できないため、どこにも印象が残らない開閉会式となりました。

 

メッセージがない(伝わらない)

開会式、閉会式ともに何を伝えようとしているのかわかりませんでした。「メッセージがない」のが今の日本だ、というメッセージだというのであればわかります。わかりますが、伝えなくていいしつまらないですね。

本当はいろいろと込み入ったメッセージがあるのかもしれません。演出家や出演者をよく知っていて、様々な歴史や玄人好みの知識(たぶんサブカルの知識)を持っていれば、深読みしたメッセージを受け取ることができるのかもしれないです。でも世界の数億人に向けて伝わらないと意味がありません。誰に何を伝えるのか、はプレゼンの基本です。会社だったら上司に怒られます。当方のブログ同じですね。すみません。

また、これ見よがしに七色を使うことでSDGsLGBTに配慮していることはわかりますが、これもただ怒られたくないからそうしているだけのようで、メッセージ性を感じることができません。言っとけばいいでしょ、的な、まるで私の謝罪の言葉のようです。

 

「今オリンピックを東京で開催する意味」が全くと言っていいほど感じられないので、せっかくのパフォーマンスも表面的で心に届かないものに見えてしまうのでしょう。

今回開閉会式に出演された数多くのパフォーマーの方は、それぞれすばらしい技の持ち主なのに、評価を落とされた方も多々いらっしゃるのではないでしょうか。

 

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会場の規模に合わない小さい演出、統一感がなく集中できない演目の数々、伝わらない(あったのかもわからない)メッセージ、と、文化祭の漫才大会以上にスベリ倒した感のある、黒歴史が刻まれた大会になってしまいました。

 

 

どうしたら良かったのか

イベンターでも演出家でもないので、何が良かったのか、などとは言えませんが、今大会はコロナで開催も危ぶまれたのだから、割り切ってすべてオンライン開催でもよかったかもしれません。コロナ渦でのソーシャルディスタンスを守った開催という強いメッセージも伝わりますし、閉会式で流れたフランス大会のビデオのように、メッセージが明確で作り込まれた映像を観た方が何倍もよかったように思えます。アスリートも退屈な時間を過ごす必要もなく、長いスピーチも編集できたはずです。

コンテンツも今の日本を打ち出せるものにフォーカスすれば良かったのでしょう。それこそお台場のガンダムにアクションさせたり、キャプテン翼ドラゴンボールなど海外でも認知度の高い「アニメ」をうまく使ったり、富士山などの日本らしいロケーション(東京オリンピックだけど)を活用したり、と多少ベタでもわかりやすく日本を表現する必要があったと思います。

そして最も重要なのはメッセージをわかりやすく伝えることです。

もともとメッセージとして伝えようとしていた「東日本大震災からの復興」、東京という混沌とした都市だからこそ受け入れられる「多様性の受容」、コロナ過に立ち向かう「未来への希望」。それらのメッセージを日本らしさ東京らしさでアレンジした演出こそが求められていただんじゃないでしょうかね。

あと、日本で開催するなら3月か4月にするべきですね。

 

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なんだか反省ばかりの大会のように見えてしまいましたが、もしかすると後世に今大会を分析した歴史家が

「中抜きと丸投げによるお友達五輪」を体現した、研究対象として興味深い大会だった、

と評価される可能性もありますので、意義はあったのかもしれません。たぶんありません。

 

そんなわけで、次の日本開催は長い年月が必要でしょうね。飲み会にイタイやつを呼びたくないだろうし、受けた心の傷を癒すのに時間もかかるし。。。なんだろう、他人事とは思えない。。。