ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

「わたしとインターネット」の話

何を思ったか、突然ブログを書き始めた私が、はてなインターネット文学賞にエントリーしてみます。無謀。ひろさきです。

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

わたしとインターネットと言われても、このブログ自体始めたのがつい先日。特に誰からもリアクションがない日々を過ごしているだけで、これが本当にブログと呼べるのか甚だ疑問です。とはいえ、自分にも謝罪文と障害経緯書以外の文章って書けるんだな、という発見がありました。出来の良しあしは別として。

 

突然ブログを書き始めた動機はさておき、どの媒体でどうやって始めるのかから調べ始めました。NoteやAbema、レンタルサーバーでのWordpressなどいろいろな情報のある中で、聞きなじみのある「はてな」を選択しました。

はてな」について調べると「衰退した」「寂れてしまった」という趣旨のエッセイを多くみました。過去のはてな界隈はどれだけ盛り上がっていたか、ということや、数々の名テキストを残した先人たちは更新を止め、ブログを廃止し、中にはNoteへ場所を移していった、と、去り行く人々を目の当たりにし、記録のためにここに残ってブログを書き続けるのだ、というジャーナリスト魂を感じるエッセイの数々。祭りの後のような寂寞とした雰囲気を感じました。

 

そんな中私はブログを書き始めました。それは、Youtubeのような動画でもなくスキル系記事でもない、思いを綴っただけの文章は、今時あまり読まれないにもかかわらず。はてなブログはピークアウトし、いくら文章を残そうともアクセスされないハードディスクの片隅の数バイトになるかもしれないのに。

 

理由のひとつはわたしが根暗であり、前向きな人たちやお祭りのような喧噪が苦手だったことから、今のはてなの雰囲気がとても居心地ようさそうであったこと。もうひとつは、人もいないし流行りじゃないし、読まれなくても仕方がない、と言える「慰め」があったからです。自意識が過剰で何も特別なことはしたくない人間にとって、まったくの匿名で、いっさい読まれないかもしれないこの環境は、一歩を踏み出すにはとてもよかったのです。

 

まるで「はてな」が衰退したかの言いぐさですが、実はそんなことないことは後から知ります。知ったところで今更戻せないし、どうせ閲覧者0ですし、匿名ですし。投稿数も5,6本と続けるうちに、ちょっとくらい誰かに読んでほしい欲も出てきました。

 

これはわたしのインターネットへのデビューの話です。これまでインターネットは、私にとって調べごとのツールであり、エンターテインメントを享受する装置でした。双方向とは名ばかりで、受け手としてのみ利用し、テレビや本と同じ類のものでした。

それが、ブログとして世の中に発信することで、誰かに何かの影響を与える可能性が(ほんのちょっとでも)ある、ということが、世界と私がインターネットによって繋がっている、という事実であり、ほんの少しの希望です。仮に暗い部屋で膝を抱えた中年が、社会の不満、愚痴、いいわけなどの呪詛を垂れ流しているだけの不毛なブログであったとしても。

 

先日までとはほんの少し違って世界が広がりつつある私は、誰かに私の愚痴やいいわけを聞いてもらいつつ、広がった世界のドアを閉めます。急激な変化は体に悪いから。血圧とか上がっちゃうから。今はまだ、ドアからのぞき見する程度でいいから。