ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

才能のある若者が急に増えた話

すぐに人と比較して絶望に苛まれる才能だったら負ける気がしません。ひろさきです。

 

藤井風さんを知ってますね?

若くてイケメンで歌もピアノも上手くて英語も話せちゃう完璧超人。妬む気力も失せるくらい、別世界の住人。たぶん偶然街中ですれ違ったら、時空が歪むんじゃないかと思う。

とはいえ、そんななんでも出来ちゃう人って稀有でしょ?そりゃ何十年かに一人くらい傑出した人って出るものだよ、と思っていたらそうでもない。

YouTubeの動画を見てみると、マルチな才能を持った若者がスクロール疲れするくらい出てきます。

(私の感覚では)ちょっと前まで、何か一芸に秀でた人はそれなりにいらっしゃったと思いますが、今はその程度では話題にもならないようです。歌がうまいだけでなく、英語も堪能、楽器も弾ける、トークもうまい。料理や工作ができてアイデア豊富で見た目もいい。そんな人たちがこぞって湧いて出てきたような気がします。

 

◆個人による発信の革命

インターネット普及前、1995年以前は、テレビやラジオ、新聞、雑誌のようなレガシーメディアが主流であり、いくら個人が世間にアピールしようと思っても取り上げる主導権はメディア側にありました。すべての人がメディアの目に触れるわけもなく、たくさんの才能が世にでることもなく消えていった可能性があります。

現在は言うまでもなく、1時間もあれば動画サイトに投稿できるほど、個人の情報発信は容易になりました。才能を持った人がたくさんの人の目に触れやすくなった、ということです。

 

◆スキル習得のコスト低減

何か興味を持ったとき、何かを学ぼうと思ったとき、すぐに検索することができます。言うまでもありませんが、インターネット以前であれば本で学ぶ、教室に通うなど時間もコストもかかるため、学ぶものを厳選する必要がありました。

現在は低コスト(なんなら無料で!)かつ 動画で分かりやすく学べる手段があります。

自身の隠れた才能を見つけやすく、また伸ばしやすい環境になった、と言えるでしょう。

 

◆興味の細分化

受けて側、大衆も変化しています。

過去、レガシーメディアしかなかったころは、メディアが取り上げるものの中で興味の対象を探していました。メディアが取り上げた内容を、翌日の学校ではみんなで話題にします。見てなかった場合、見てたフリをして愛想笑いで誤魔化す必要がありました。興味のないスポーツの話題やアイドルの話題を、さも興味のあるかのようにふるまう必要がありました。それができないと、コミュ障になり、つまり私のようになります。

 

話を元に戻すと、現在は趣味や興味が多様化し、ニッチな才能やマイナーなジャンルであっても、脚光を浴びることができる時代になった、ということです。

 

まとめると、インターネットの普及によって、マルチな才能を習得しやすくなり、その才能を気軽に表現できる場があり、それに興味を持つ人たちがアクセスしやすくなったことから、「スゴイ人たち」が増えたように見えたのだ、と思うわけです。

 

 

このように才能のある若者を妬み、ブログに呪詛を垂れ流し、部屋の隅っこでひざを抱える中年になったのも、全部時代のせいだ、ってことです。

 

あぁ、藤井風さんと偶然すれ違って、歪んだ時空の狭間に吸い込まれて異世界転生しないかなー

「転生したらコミュ障で才能のない中年になって、人生負け組になった」