ぐちさき

今日も愚痴といいわけ。

オールドタイプとしての目覚めの話

ガンプラは好きですが、そんなにガンダムは見てない「にわか」です。ひろさきです。 

 

ニュータイプ。うっかりガンダムに乗って戦争を左右しちゃう人のことです。

その特性として、脅威の戦闘力が語られがちですが、劇中においてもその解釈はいろいろとあるようです。そのいろいろな解釈の中から共感力について、天井のしみを数えつつ考えてみたいと思います。

 

ニュータイプにおける共感力とは、言語によるコミュニケーションを超えた相互理解にあるようです。通常、思考は言語によりなされ、それを言葉として吐き出します。言葉はそれぞれ定義があり、その定義によって相手の言葉を解釈し理解します。そのようにして他者同士が共通認識を得ています。

この言葉のコミュニケーションですが、そもそも言葉に「私」が思うすべての情報を載せられるでしょうか?その時の感情や気分、言葉に込めた想いなど、本来伝えたい情報の大部分は言葉にした時点でそぎ落とされます。

対面によるコミュニケーションでは表情や発声、態度により、ある程度情報は付加できますが、それでも本当の気持ちを言葉にし、相手に伝えることは難しいです。

さらには、利き手側は言葉に対して自身の経験やその時の気分により解釈します。同じ人間であってもその時、その場所により解釈が異なるわけです。

他者に対して想いや思考が正しくすべて伝わるわけないですね。

 

そこでニュータイプです。言語だけではなく、思考や体験を直接相手と共有しているように見えます。当の本人たちは「わかり合えた」感覚になるようです。中には情報量が多すぎて精神に異常をきたした人もいましたが。

 

さて。ニュータイプの共感力、感受性の高さをお伝えしました。この文章で伝えたいのは、我々オールドタイプはオールドタイプとしての自覚が必要である、ということです。何を言ってるのか?と思われているのでしょうけども、社会の人達は自分がニュータイプであるかのように、こちらに理解を求めます。忖度、などとも言われます。

教えられてもいないこと、言われてもいないことを、どうしてできて当然みたいな感じで責められるのか、という経験はないでしょうか?どんな些細なことでも言わなければ伝わりません。それを「常識」や「当たり前」、「社会人として当然」などの言葉を駆使して人を責める人が多々いますが、そんな言葉は幻想です。妄想です。

 

こうして、我々がオールドタイプとしての自覚が必要という話になります。ニュータイプじゃないんだから、思念が相手に伝わるわけないよね、言葉で伝えても完全な理解は得られないよね、ということを改めて認識すべきだ、ということです。

ニュータイプとして人類が覚醒するまで、指示も指導もお願いも感謝も愛情も、簡潔にわかりやすい言葉で伝える努力が必要だよ、と、今目の前で私ができなていなかったことをため息交じりに説教している上司に伝えたい。とりあえず早く終わるように思念を送ってみる。ピコーン。