声の大きい人の下には屍体が埋まつてゐるという話
何かをするには犠牲が伴うものです。それを知って欲しいのです。ですから私は何もしないのです。ひろさきです。
声の大きい人がいますね。サンシャイン池崎さん的な話ではなく、自分の主張ができる人。以前、「言わなければ伝わらない」を前提にしようね、という話を書きました。
ですので、自分の意志を主張することは大事です。
大事なのですが。
割りを食う人
主張する人、できる人は自分がやりたいことの実現可能性を大いに高めます。例えば会社内において、トップマネジメントがコンサルに言われたことを鵜呑みにして、社員にスキルアップを奨励します。まぁ、間違いではないですが。
そこでいち早く手を挙げるのが、主張する人です。そうやって手を挙げて研修に行って自身のスキルアップに精を出します。研修だけではなく、社内行事などでもいち早く手を挙げ、社内にコネやツテを作ります。そうやって社内での存在感を増していき、出世していくのです。
主張できる人にとっては、いいことづくめですね。
一方で、そうやって研修や社内行事で不在になった人の分の通常業務はどうなるのでしょうか。
そうです。主張できない人がやるのです。
主張できない人のことを気づいて欲しい
主張できない人の全員がやる気がないわけではありません(私を除く)。全体の業務量を考えてしまい、たとえ自己研鑽であっても自分が不在になることを「わがまま」と捉えてしまっているかもしれません。主張する人の抜けた穴を埋めるため、通常業務が忙しくなったために、同じ思いを他のメンバーに強いることに気が引けているのかもしれません。主張する人は、そういった人たちの屍の上に立って研修に行けているのだ、ということを肝に銘じてほしいのです。
そして何よりもマネジメントこそ、そういった主張できない人たちが通常業務を滞りなく運営している、ということに気づくべきです。
耐えることは美徳じゃない
そうはいっても、マネジメントやリーダーだって人の子。すべてを見通せるわけではないし、善良とは限りません。何も言わない人に面倒を押し付けた方が楽なのです。それに、主張する人の中には、これから忙しくなることがわかっていて、そこから逃げ出すためにあえて研修に行くような人もいたりします。くやしい。
そうとなれば、やっぱり主張すべきです。通常業務を遅延させないために我慢したり耐えたりするのは、話としては美談かもしれませんが、誰にも伝わりません。何事もなかったね、で終わるのです。むしろ研修に行って学ぶ姿勢を見せた方が良い評価を得られます。
それでは通常業務が滞ってしまう、と思いますが、それを考えて許可を出すのはマネジメントやリーダーの仕事です。気にする必要はありません。
さて。コミュ障を自認してやまない私ですから、声は小さいですし、主張できるタイプでもありません。しかし、それも今日までです。私は大きな声で主張したい。人の穴を埋めるための残業などしたくはない、と。しかし研修も面倒なのでやりたくない、と。日中はExcelを方眼紙状にしてピクロスっぽく絵を描いて過ごし、定時になったらすぐに帰宅したいのだ、と。
あ、仕事の心構えの研修に行け、ということですね。承知しました。(か細い声で)